病態病理学分野│群馬大学大学院 医学系研究科 高次機能統御系脳神経病理生体制御学

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病態病理学分野の歴史

病態病理学分野の歴史

History of Department

群馬大学医学部病理学第一講座・病態病理学分野の歴史

1.草創期の病理学教室

 病理学講座の初代教授川合貞郎先生は、昭和18年5月10日、前橋医学専門学校の開校と同時に東京帝国大学より着任され、病理学教室を主宰された。病理学教室とはいえ、前橋医専は当時、赤屋根の二階建てが一棟しかなく、その一室を薬理学の柴田教授と川合教授が衝立で仕切って共用し、片方の入り口に病理学教室の看板を掲げたのが最初である。1年後、川合教授は軍に召集され、昭和21年5月に復員するまでの2年間、東京大学伝染病研究所の草野信男先生が非常勤講師を務めた。昭和22年に実験助手として河原田ウメ子さん(元.群馬大学医療技術短期大学部教授)が採用され、ようやく教室が複数のメンバーから構成されるに至った。第1号の病理解剖は、昭和22年1月17日、病理解剖室が未整備のため系統解剖室を借用して、川合教授が執刀、滝沢解剖学助教授(群馬大学名誉教授)が助手を勉めて行われた。38歳男性の急性骨髄性白血病の患者であった。解剖器具も不十分で、肥後の守と切り出しナイフを使っての解剖であった。
 昭和23年8月に慶応大学から小此木丘先生が講師として着任。昭和24年には医専第1回卒業生の新幡貞雄、石田陽一、二宮貞雄および新潟医専卒の山内修司の各先生が助手として採用され、ようやく病理学講座としての陣容が整った。
 昭和29年、大根田玄寿教授の病理学第二講座への着任に伴い、川合病理学教室は病理学第一講座となった。
 平成15年4月、大学院の部局化に伴い教室の正式名称は、群馬大学大学院医学系研究科医科学専攻高次機能統御系脳神経病態制御学講座病態病理学分野となり、現在に至っている。

2.教室人事

教室創立以来の教育スタッフは表1の通りである。

職名 氏名 在任期間
教授 川合 貞郎 1943. 5 – 1976. 3
  石田 陽一 1976. 4 – 1990. 3
  中里 洋一 1990. 7 – 2013. 3
  横尾 英明 2013.12 –
助教授 小此木 丘 1949. 7 – 1964.12
  石田 陽一 1965. 7 – 1976. 3
  本間 学 1976. 7 – 1996. 3
  平戸 純子 1998.10 – 2007. 4
准教授 佐々木 惇 2007.10 – 2009. 3
  横尾 英明 2009. 5 – 2013. 11
  伊古田 勇人 2017. 4 – 
講師 草野 信男 1944. 9 – 1946. 8
  小此木 丘 1948. 8 – 1949. 7
  石田 陽一 1963. 6 – 1965. 6
  深井 孝治 1970.12 – 1971. 3
  本間 学 1972.10 – 1976. 6
  中里 洋一 1978. 3 – 1990. 6
  平戸 純子 1994. 8 – 1998. 9
  佐々木 惇 1996. 4 – 2007. 9
  横尾 英明 2007. 8 – 2009. 4
  伊古田 勇人 2010. 4 – 2017. 4
  信澤 純人 2018. 5 –

 表1.病理学第一講座、病態病理学分野の教育スタッフ

 助手・助教として教室に在籍した教官には新幡貞雄、石田陽一、二宮貞雄、山内修司、小川 博、星 昭二、山口和夫、深井孝治、本間 学、佐藤和雄、藤倉 隆、瓦井美津江、中里洋一、平戸純子、佐々木惇、横尾英明、山内秀雄、新井華子、神谷誠、金城佐和子、大石琢磨、田中優子、伊古田勇人、信澤純人、松村望、山田勢至(医学教育センター)がいる。
 研究生、専攻生、大学院生として在籍した者は数多く、すべてを列挙できないが、大学等で教員として活躍している方々には、深井孝治(杏林大学医学部教授)、新部英男(群馬大学放射線科教授)、藤倉隆(藤田保健衛生大学法医学教授)、金井幸子(共立女子大学教授)、岡本幸市(群馬大学神経内科教授)、高橋聖之(岡山大学医学部保健学科教授)、山口晴保(群馬大学医学部保健学科教授)、柳澤昭夫(京都府立医科大学病理部教授)、神田亨勉(金沢医科大学総合診療部教授)、長谷川正俊(奈良県立医科大学放射線科教授)、平戸純子(群馬大学医学部附属病院准教授)、安倍雅人(藤田保健衛生大学保健学科教授)、佐々木惇(埼玉医科大学医学部病理学教授)、石内勝吾(琉球大学医学部脳神経外科教授)山内秀雄(埼玉医科大学医学部小児科学教授)がいる。

3.主な研究テーマと業績

 当教室の主要研究テーマは人体病理学である。現在に至るまで様々な疾患の剖検例が病理形態学的に検索され症例報告として論文発表されている。実験的研究も行われてきたが、実験の動機はほとんどが人体例に源を持っており、ヒトの病気の成り立ちの解明を主な目的としている(以下括弧内に関連テーマによる学位取得者、取得年を記す)。
 最も初期の研究テーマである珪肺症は、昭和20年代のはじめ足尾銅山の病院へ出張解剖に出かけ、そこで多くの炭坑夫の珪肺症を剖検したことから研究が始まっている(加藤和夫、1958)。昭和20年代後半には、当時県下で大流行した狂犬病の犬が多数解剖されている(二宮貞雄、1955;小針慶治、1959)。これは人を咬んだ犬の脳を検査し、犬が狂犬病に罹患しているか否かを調べる目的で行われたものである。また、狂犬病予防接種後に播種性脳脊髄炎を発症した症例の剖検もあり、その発症機序の解明のため犬を用いた実験的アレルギー性脳脊髄炎の実験が行われた(村田貞雄、1955)。このような過程を経て、神経病理学が教室の主要テーマとして取り上げられるに至り、その後、中枢神経系の硝子滴(石田陽一、1957)、汎発性硬化症、デビック病、淡蒼球脂肪(荻野広雄、1958)、周産期脳障害(須藤謙三郎、1961)、脊髄小脳変性症(佐藤昭一、1968)、筋萎縮性側索硬化症(佐川公夫、1972)、ピック病、クロイツフェルトヤコブ病などの病理組織学的研究が行われてきた。
 昭和20年から30年代にかけて行われた病理学的研究としては結核性髄膜炎(山内修司、1953)、鈎虫症(美原博、1954)、睾丸の老化(平山量太郎、1958)、実験的結核症(岡茂夫、1958)、子宮内膜と卵巣の老化(久田喜敏、1960)、甲状腺腫(簡野錦朋、1960)などもある。
 一方、微生物学教室との共同研究を出発点として、細菌毒素、蛇毒の病態に関する多数の業績があげられている。百日咳(浅田弥美、1953;須田昭男、1957)、ヂフテリー(中田克巳、1958;長英一、1960)などの毒素による病変の解析、疫痢による内分泌系および細網内皮系臓器の病態の解明(小川博、1956)、実験的チフス症における病理組織学的研究が行われた(深井孝治、1958;笹本潔、1962;相田佳四郎、1965;境野宏治、1967;今井育一、1973)。
 肝細胞の変性と修復に関する研究もこのころ集中的に行われている(星昭一、1958;小倉和義、1958;高野信一、1959;吉沢貢久、1960;中里賢次郎、1960)。
 蛇毒としては当初はハブ毒の研究(山口和夫、1958;大原三男、1959;本間学、1961;飯塚久義、1961;青木謙二、1963;佐藤信、1965;大木舒洋、1974)が中心であったが、しだいにマムシ毒(小菅隆夫、1968)やその他の蛇毒にも研究範囲が広げられ、毒素の生体への作用、病変の形成過程が詳細に明らかにされてきた。蛇毒中毒症の病理学は当教室の特筆すべきユニークな研究領域である。
 昭和30年代後半から50年代にかけては、ヒト脳腫瘍の病理組織学的研究に端を発し、脳腫瘍の実験的研究が盛んに行われた。当初は、化学発ガン物質であるメチルコラントレンを用い、げっ歯類動物の脳内に固形の発ガン物質を直接埋没投与する方法で、多数の脳腫瘍が形成された(永島勇、1962;佐藤和雄、1963)。誘発された腫瘍は同種動物に継代移植され、脳腫瘍移植株の樹立が行われた(新部英男、1964;直田靖彦、1967;瓦井美津江、1969;藤倉隆、1971)。研究成果は昭和38年の日本病理学会における川合教授の宿題報告にまとめて発表された。脳組織の形成異常に基づく腫瘍様病変の検討もなされた(金井幸子、1972)。
 さらに、ニトロソ化合物の経胎盤ないし経静脈投与による脳腫瘍の誘発へと研究は発展し、エチルニトロソウレア(鈴木豊、1976;柳澤昭夫、1980、高橋聖之、1981)、メチルニトロソウレア(神田洋、1974)、ジメチルニトロソウレア(井上敏克、1978)、ニトロソピペリジン(杉原志朗、1981)などによる脳腫瘍の誘発と、腫瘍の病理形態学的研究が行われた。その後、腫瘍ウイルスであるラウス肉腫ウイルス(中里洋一、1977)およびアデノウイルスによる脳腫瘍の誘発にも成功している。
 昭和40年から50年代の病理学的研究としては、子宮内膜の電子顕微鏡像(長谷川潜、1973)、先天性心疾患(田中照彦、1973)、末梢神経の再生(岡本幸市、1976)、胸腺の急性退縮(岡村雅生、1976)、急性骨髄性白血病(半田喜胤、1976)、エナメル上皮腫の病理(久保田文良、1982)なども挙げられる。
 昭和50年代後半には有力な形態学的手段として免疫組織化学が教室に導入された。神経組織の蛋白を抽出精製し、その抗体が盛んに作製された(山口晴保、1980;佐々木惇、1985;小川晃、1986)。それらの抗体を用いて様々な疾患が免疫組織化学的に検索されてきた(中島孝、1983;平戸純子、1984)。これらの抗体を用いることにより神経系腫瘍の診断に格段の進歩がもたらされた。また、従来知られていなかった細胞における抗原の局在が発見され、数編の論文として発表された。神経系抗原に対するモノクローナル抗体の作製と、免疫組織化学的研究も行われている。
 ヒト脳腫瘍の病理学的研究(高柳孝行、1969;成田忠雄、1979)にも、電子顕微鏡や免疫組織化学(神田享勉、1983)、ヌードマウス移植(長谷川正俊、1987)など多角的な検索手段が導入され、多くの研究成果が生まれた。これらの業績により石田教授は1974年以来、WHO国際脳腫瘍組織分類委員会の日本代表委員に任命され、脳腫瘍の国際分類の作成に参加した。WHO分類は第1版が1979年に発刊され、その後1993年には第2版が出版されている。石田教授はこの2つのWHO blue bookの出版に関与している。
 1990年に中里洋一が第3代教授として就任し、引き続き人体病理学、神経病理学、脳腫瘍病理学が教室の主要研究領域として継続されることになった。脳腫瘍の病理学に関しては、グリオーマの変性構造物(玉城修、1990)、血管性脳腫瘍の病理(田中卓、1993)、脳腫瘍増殖能の定量的解析(田村雄次、1993)、髄芽腫細胞の多様性の解析(飯島美砂、1997)などが行われた。またモノクローナル抗体の作製も引き続き行われ、原形質性星細胞を認識する抗体(横尾英明、1996)、シュワン細胞と末梢性髄鞘の特異抗体(新井華子、1998)などが作られた。なお、シュワン細胞と末梢性髄鞘の特異抗体はコスモバイオ株式会社を通じて市販され、世界中で使われていると聞いている。神経病理学的研究としては、多系統萎縮症の疾患特異的構造物(oligodendroglial microtubular tangle, OMT)が我々とイギリスの研究グループでほぼ同時に発見され、大いに注目された。このマーカーの神経組織内における詳細な分布も明らかにされた(鈴木忍、1994)。教室には学内臨床科や他大学からの研究生も受け入れ、中枢性神経細胞腫の組織培養(石内勝吾、1997)、oligodendrogliomaの免疫組織化学(斉藤厚志、1999)、唾液腺腫瘍の画像解析と増殖能(平林晋、1999)などの研究がおこなわれた。
 2000年以降は大学院生の入学も順調で、彼らにより脳腫瘍の病理学的研究が推進された。oligodendrogliomaに特異的な重屈折性好酸性顆粒細胞(吉田孝友、2001)、oligodendrogliomaにおける細胞周期調節蛋白の発現(神谷誠、2002)、教室で作製された松果体特異モノクローナル抗体を使った松果体実質腫瘍の研究(山根優子、2002)や網膜芽腫の研究(澤井循暉、2002)が行われた。山根優子はこの研究により2003年日本神経病理学会賞を受賞した。
 教室で開発されたコンピュータソフトウェアとしては、Ki-67カウンターといった初歩的なものもあるが、後々も広く普及して使われている Gunma-LI やGunmetry(田中学、2004)、病理診断システムといった本格的なものもある。このうちGunma-LIは腫瘍の増殖能を計測するためには必須のソフトであり、日本中に普及している。また学外生検診断ではこの病理診断システムが現在でも活躍している。
 2000年代には脳腫瘍の病理学的研究にも分子生物学的手法が導入されてきた。横尾英明によって2004年に開発された抗ヒトOlig2抗体は分子生物学的知見をもとに抗原を化学合成して得られた抗体であり、パラフィン切片で使用可能なオリゴデンドロサイトを認識する抗体として国内外で市販されている。脳原発悪性リンパ腫のアポトーシス関連分子(新井桃子、2005)、組織マイクロアレイを用いた脳腫瘍の免疫組織化学的研究(伊古田勇人、2006)、CISH法を用いた膠芽腫のEGFR遺伝子増幅(宮永朋実、2008)などの研究もおこなわれた。また、ややユニークな研究として腸管の神経支配の観点から巨大結腸症を病理学的に解析した論文(松田葉月、2006)は、2007年の日本神経病理学会賞を受賞している。伝統的な脳腫瘍病理学の研究も継続して行われており、pilocytic astrocytoma (田中優子、2008)やlow grade diffuse glioma(金城佐和子、2008)の研究などがある。群馬大学への重粒子線治療施設の設置に合わせて重粒子関係の研究が学内で盛んに行われたが、本教室でも脳腫瘍細胞への重粒子線照射効果に関する研究(大石琢磨、2008)がある。
 2010年以降は教室と海外の研究所との共同研究が盛んになっている。フランスのInternational Agency for Research on Cancer (IARC)で開発された脳腫瘍好発ラットは教室へ導入され、横尾英明により動物の繁殖、継代と病理学的解析が行われてきた。IARCとは脳腫瘍症例の提供や大学院生の留学派遣を通じても、密接な共同研究が推進されている。特に脳腫瘍の遺伝子解析が盛んに行われ low grade gliomaの分子遺伝学的分類(信澤純人、2010)やgliosarcomaの遺伝子異常(永石雅也、2012)に関する成果が挙げられた。中国上海の復旦大学崋山病院とはglioneuronal tumor(松村望、2012)の共同研究が行われている。脳腫瘍の病理学的解析としては、グリオーマにおけるnestin発現(新井秀雄、2012)や頭蓋底軟骨肉腫の遺伝子異常(新井基展、2012)などがある。国内との共同研究では、新潟大学脳研究所とおこなった視神経脊髄炎におけるcorpora amylacea貪食像に関する研究(鈴木文、2012)で、視神経脊髄炎がアストロサイトを一次的に侵す疾患であることを強く示唆する所見を得た。この業績により鈴木は2013年の日本神経病理学会賞を受賞した。
 海外留学生の受け入れもおこなわれ、1999年にネパール人のアマティアさん(広島大学第二病理の紹介)を、2000年にはシリア人のライカさん(群馬大学神経内科の紹介)を受け入れた。

4.学会の開催

 当教室により前橋で開催した学会、研究会としては第25回東京病理集談会(1953年9月)、第51回東京病理集談会(1966年12月)、第8回日本神経病理学会(1967年6月、会長川合貞郎)、第20回日本神経病理学会(1979年5月、会長石田陽一)、第92回東京病理集談会(1987年6月)、第17回日本脳腫瘍病理学会(1999年4月、会長中里洋一)、Gunma Seminar on Brain Tumor Pathology(2000年10月、会長中里洋一)、第45回日本神経病理学会(2004年5月、会長中里洋一)、第70回日本病理学会関東支部会(2016年3月、会長横尾英明)がある。また、名古屋市で第1回日本脳腫瘍病理研究会(1983年5月、会長石田陽一)、大津市で琵琶湖脳腫瘍国際シンポジウム(1990年9月、会長石田陽一)を開催した。上信越神経病理懇談会は第1回(1975年11月)、第8回(1982年11月)、第14回(1988年10月)、第20回(1994年11月)、第23回(1997年11月)、第26回(2000年11月)、第32回(2006年11月)、第35回(2009年11月)、第38回(2012年11月)、第41回(2015年10月) を主催している。

5.教室の特色と現在の活動状況

 当教室は人体病理学、病理形態学を中心として研究教育活動を行ってきた。川合教授による記述病理学と「和」の精神、石田教授による実証主義と進取の気性を伝統として受け継ぎ、その精神的背景を基盤としながら新たな病理学を築くべく、教室員が日夜努力している。神経病理学、脳腫瘍病理学を中心的テーマとしながらも、広く人体病理学を研究し、分子細胞生物学的知見と組織器官の病変と患者の病態との相互関係を、分析的かつ総合的に把握するよう務めている。
 卒前卒後の教育にも熱心に取り組んでいる。従来の講義と実習に加え、臨床実習(ポリクリ)にも病理学が導入されて、医学部の5・6年生が年間を通じて実習にやってくる。生検および剖検業務を実際に体験しながら、病理学の医学における任務と責務の重要性が認識できるよう教育している。病理学の応用である病理診断も教室の重要な業務である。附属病院には1989年に病理部が設置され、石田教授は初代の病理部長(1989~1990)を務めた。1991年4月より、すべての病理業務が病理部を窓口として行われるようになった。病理部における生検、剖検業務の実施には教室員全員が積極的に参加している。また、県下近県の関連病院の病理業務を担当し、さらに全国の大学病院および市中病院から依頼された脳腫瘍症例の診断コンサルテーションを行なうことを通じて、地域医療に貢献している。
 教室内には1995年以降、日本脳腫瘍リファレンスセンターが設置され、中里がセンター長としてこの組織を運営してきた。貴重な脳腫瘍症例を収集して公開し、脳腫瘍研究の推進をめざすことが目的である。また同時に脳腫瘍病理診断のコンサルテーションを行って、国内の脳腫瘍病理診断レベルの向上をめざしている。2006年よりこの組織は法人化され、「特定非営利活動法人日本脳腫瘍リファレンスセンター」として群馬県知事の認可を受けている。法人の理事長は中里が務めてきたが、2012年より平戸純子准教授が第2代理事長に就任している。これまでの教室の研究教育活動が評価されるとともに、本法人の拠点でもあることより、「脳腫瘍病理学を専門とする教室」として国内に広く認知されているのが現状である。
 中里教授は2013年3月をもって定年退任し、同年12月より准教授だった横尾英明が教授に昇格し、新しい教室づくりが始められている。

(中里洋一の原案に横尾英明が加筆)

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